2011.3.11 震災の記憶と今の夢
2011年3月11日の東北を襲った震災後、山元町へボランティア行った時のお話です。
当時私は仙台在住の大学2年生でした。
震災当日は運良く海外旅行中でフリーペーパーで被害を知りました。
その時に見た写真がコレ↓。
これが日本?という衝撃でした。
友達であったり身近に関わっていた人が無事か心配になりました。
帰国して3月下旬には仙台に戻りました。
たまたま私が住んでいた仙台市内は大きな被害はなく、友人はみんな無事でした。
家の中も冷蔵庫が30cmほど前に出てくる程度で物損も何もありませんでした。
仙台にいただけでは被害の大きさは全く実感しなかったです。
4月初旬から宮城県と福島県の県境にある山元町へ数回ボランティアに参加しました。
そのときに撮影させて頂いた写真を紹介します。
当時町役場でボランティアの指揮をとっていた方に被災地の現状を広めてほしいということで特別に撮影させて頂きました。
どれの場所に行っても日本とは思えませんでした。
いつまでも忘れてはいけない悲劇だと思います。
ボランティアでは支援物資の整理や小学校や役場等の避難所の掃除を担当していました。
現場で問題となっていたのは、支援物資は大量に被災地に届いているのに、避難所の方々には全く行き届いていないことです。
日本は台風や大雨、地震、津波等災害の多い国なので、この経験を活かして必要としている人たちに届くまでの物資の流れは事前に決めて訓練する必要があると感じました。
避難所を清掃する際には被災者と交流する機会がありました。
おばあちゃんの話が今でも心に残っています。
「ガソリンや電気のない生活がこれほど大変とは思わなかったよ。
夜は真っ暗、行きたいところへも行けない。
これまで普通に生活してきて悪いことはなにもしていないのにね。」
どうにかしてあげたいと思いましたが、話を聞くことしかできず悔しい思いでした。
この経験から今の日本でどのようなことに貢献していけるか考えました。
日本は火力発電に依存しているため、電気が発電所から届かなくなってしまった場合、大変な生活を強いられます。
また、中東などの情勢により原油価格に左右される生活はこれからも続くでしょう。
これらの観点から日本や地域がエネルギーを自給自足(地産地消)する必要があると思いました。
災害時には他にもいろいろな問題があるかもしれませんが、地域がエネルギーを自給自足できることにより、災害が起きた際にも少しでも困らずに済むかもしれません。
私の夢は、このときから今でも「エネルギー的に自立した地域や社会を築くこと」になりました。
これからブログでは、エネルギー分散型社会をどのように作っていけばいいか書いていければと思っています。
おしまい